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Author:tabito
国内旅行業務取扱主任者、一般旅行業務取扱主任者の資格を取得。全国47都道府県、世界約30ヶ国を旅する。日本の鉄道全線踏破を目標としているが、相次ぐ新線開業に加え、多忙につき足踏み状態。



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日暮里・舎人ライナー♪
見沼代親水公園①  見沼代親水公園②  見沼代親水公園③


日暮里8:32(843A)8:53見沼代親水公園9:24(934A)9:44日暮里

 2008年(平成20年)3月30日に開業した東京都交通局の日暮里・舎人ライナーの初乗りに出掛ける。開業から1年近くになるが、足を運ぶ機会に恵まれず、友人の結婚式が東京であるのをきっかけに足を伸ばした次第である。路線名については、一般公募が行われたにも関わらず、日暮里・舎人ライナーという沿線の地名を並べた野暮なネーミングに決定した。土佐くろしお鉄道のごめん・なはり線のように、地名をそのまま羅列するのが最近の傾向なのだろうか。かつての国鉄のように、起点と終点の駅名から1文字ずつ拝借して、路線名を新しく作り出す方が芸があるようにも思える。

 日暮里・舎人ライナーは、日暮里-見沼代親水公園の全長9.7キロの新交通システム。日暮里駅のホームに上がると、ちょうど列車が発車していくところであったが、運転間隔も7分30秒間隔とかなりの頻度なので支障はない。次の8時32分発の843Aに乗り込むと、クロスシートとロングシートが混在している。都会の路線はすべてロングシートだと思っていたので意表を突かれるが、当初は乗客が定員をオーバーして乗り込むことがないようにとの配慮からクロスシート主体の車両であったらしい。ただし、クロスシートではラッシュ時の輸送に支障を来たすため、当然のように一部のロングシート化が図られているとのことだ。

 日暮里を出た列車はすぐに直角に左手に曲がり、尾久橋通に出る。基本的に日暮里・舎人ライナーは尾久橋通上にある高架を走行する。都心の新線が用地買収で路線を伸ばすことは不可能に近く、基本的には地下鉄も含めて道路上に路線を伸ばすしかない。

 ビルの谷間をかすめて最初の停車駅である西日暮里へ。山手線や京浜東北線との並走区間であるが、日暮里・舎人ライナーの西日暮里はJRの西日暮里駅から200メートルほど離れている。

 熊野前では都電荒川線と交差し、すぐに隅田川、続いて荒川を渡る。思っていたよりも沿線の風景は変化に富み、退屈はしない。

 しばらく住宅街を走行した後、広大な舎人公園が現れる。計画では舎人公園で下車して公園を散策する予定であるが、あいにくの雨模様なので見送り。都心に51.3ヘクタールもの公園が存在するのは、かつては防空緑地であったからである。現在も一部は造成中で、最終的には69.5ヘクタールになる予定。園内には陸上競技場や野球場、テニスコートなどが整備されている。

 路線名にもなっている舎人を経て、終点の見沼代親水公園に到着。21分間の日暮里・舎人ライナーの初乗りは無事に終了した。

 こちらも公園を名乗っているが、舎人公園とは対照的に用水路沿いの遊歩道が見沼代親水公園を呼ばれているらしい。見沼代用水は、1728年(享保13年)に幕府の役人であった井沢弥惣兵衛為永が新田開発のために、武蔵国に普請した灌漑農業用水である。現在は水辺のプロムナードといった雰囲気だ。

 見沼代親水公園の駅近くにも小さな公園が設けられており、本来は憩いの場として機能しているのだろうが、あいにくの天気で人気はない。雨足が強くなってきたので、散策を切り上げて駅に戻り、今度は車両先頭のかぶりつき席に陣取って、日暮里へ引き返した。

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島原鉄道③♪
島原鉄道(原城)  干拓の里  愛野駅


加津佐8:38(112)8:57原城11:10(120)12:03南島原12:03(120)13:11干拓の里16:01(129)16:13愛野16:28(128)16:53諫早

 連休最終日は小浜温泉から島鉄バスで加津佐駅前へ運ばれる。加津佐駅前のひとつ手前に加津佐という停留所があり紛らわしい。間違えて加津佐で下車してしまう旅行者も多そうだ。同じようなパターンは、高知県の奈半利でも経験した。車内アナウンスで、駅は次の停留所である旨を注意してもよさそうだが、残り1ヵ月少々では吹き替えのコストが無駄になるか。せめて運転手には確認をする配慮が欲しいものだ。

 加津佐からは昨日と同じ112列車に乗り込む。黄色いワンマンカーで、始発駅であったこともあり、窓側のボックス席を確保する。8時38分に加津佐を静かに発車し、今度こそ最後の乗車なので車窓をしっかりと眺める。白浜海水浴場前、口之津と停車するに連れ、昨日の記憶が蘇ってくる。今日の最初の下車駅は、島原の乱で名高い原城だ。

 原城で降り立ったのは、私の他に地元客3名と旅行者らしきアベックだ。アベックは原城跡が目的の観光客と思いきや、駅や列車の写真を撮影すると、駅前のバス停留所へ。列車とバスを活用したお別れ乗車組で、鉄道ファンのアベックとは珍しい。最近は女性の鉄道ファンも増えたことだし、今後は全国各地で見掛けることも増えそうだ。

 さて、降り立った原城も無人駅で、かつての駅事務室も閉鎖されている。それでも原城への観光案内だけは残っており、道順を確認してから出発する。駅周辺の集落を抜けると畑が続き、徒歩15分ぐらいで原城真砂温泉に辿り着いた。500円の入浴券を自動販売機で購入して脱衣場へ向かうと、既に先客が何人もいる。開館したばかりではないかと思ったら、先客は浴衣を身に付けており、宿泊客と判明。原城真砂温泉は宿泊もできる施設だったのだ。温泉は単純温泉なので、無色透明で面白味がないが、ガラス張りの浴場からは眺める有明海は見事だ。

 温泉でさっぱりしてから原城址に向かう。真砂温泉から畑に囲まれた道路を10分程歩いてたどり着いた原城址には、島原の乱を指導した天草四郎時貞の像や墓があり、キリシタンのシンボルである白い十字架の塔が建てられていた。幕府の要請により、オランダ軍の軍艦が砲撃したとのことだが、有明海に面した原城址を見れば納得する。

 原城のホームで列車を待っていると、地元のお婆さんが島原鉄道の廃止について会話をしている。要約すると列車だと諫早まで時間がかかり過ぎるので、バスや車で移動した方が便利とのこと。一般的にはバスよりも鉄道の方が早いと思うのだが、急行列車は1日1往復だけなので、地元の需要には応えられなかったようだ。

 120列車は旧型車両のキハ20であったが、幸いにも山側のボックス席が開いていたので落ち着く。人気があるのは圧倒的に海側であるが、山側でも雲仙普賢岳を眺めることができるし、それなりに車窓は楽しめる。車掌はマメに車内巡回と車内アナウンスを繰り返し、記念乗車券の販売に努めている。記念乗車券といっても特殊な乗車券ではなく、廃止区間の乗車券を昔ながらの車内補充券で売っているのであった。

 島原外港まで戻って来ると廃止区間のお別れ乗車は終了。時刻表上は諫早までの直通となっているのだが、南島原で乗り換えを指示される。普段はワンマン列車で運行するところを、特別に加津佐-南島原間にキハ20をあてがったのだ。南島原からは黄色いワンマン列車となるが、2両が1両になるので、車内は混雑する。かろうじて海側のボックス席を確保したが、すべての席が埋まる。

 4月以降も存続する区間に入ったので、沿線にはカメラを構えた鉄道ファンの姿は見掛けなくなったが、代わりに地元客の利用者も増えてくる。もっとも、島原近郊の利用者が多く、各駅に停車するに連れて車内に落ち着きが戻ってくる。

 今度は干拓の里で下車。諫早と言えば干拓が名高く、干拓の里という駅名に惹かれたのだ。干拓の里は片面ホームだけの無人駅で、下車したのは部活動帰りかジャージ姿の女子高生3名だけ。少し歩けば諫早ゆうゆうランド干拓の里という施設があるので足を向けてみる。

 スピーカーから童謡のメロディーが流れて来る諫早ゆうゆうランド干拓の里に到着。広い駐車場にはそれなりの車があり、賑わいがあるようだが、子供連れでやって来る施設かなと躊躇する。それでも施設内には資料館や水族館もあるようだし、完全な子供向けの施設でもないようだ。資料館で諫早干拓について学び、水族館では諫早干拓に生息するムツゴロウを見る。ムツゴロウは食用にもなるらしいが、実際に食べられているのか疑わしい。昼食時だったので、併設されているレストラン「のんのこ亭」に入ったが、ムツゴロウのメニューはない。変わりに長崎名物の「トルコライス」を注文した。

 帰りの飛行機まで時間に余裕があったので、「愛野から吾妻」までの記念切符で有名な愛野に立ち寄ってみる。メルヘンチックな駅舎は気恥ずかしくなるが、駅員は在駐しており、記念切符も販売されていた。「愛野から吾妻」までの乗車券と「幸」の入場券2枚をセットにした記念切符と「幸→愛野→吾妻」という記念乗車券が販売されていたので双方を買い求める。「幸→愛野→吾妻」は、「幸せを愛しの吾妻に」と読ませるようだ。いつか妻にプレゼントしよう。

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島原鉄道②♪
島原鉄道(有家)  加津佐駅  口之津資料館


島鉄本社前7:02(101)8:17加津佐8:38(112)8:44口之津…口之津歴史民俗資料館・海の資料館…白浜海水浴場前10:55(120)11:17北有馬…日野江城址…日野江の里天守閣タワー…田平12:30(島鉄バス11便)12:42蒲河12:49(119)12:52有家

 島鉄本社前7時02分の101で2日目の旅をスタート。まずは3月末日になる廃止区間である島原外港-加津佐間を乗り通す。車内には鉄道ファンらしき者の姿が見受けられるが、車内は比較的空いており、海側のボックスシートに座ることができた。有明海からちょうど朝日が昇る時間帯で、美しい光景を堪能できる。この景色を眺められるのもあと1ヵ月少々だと思うと残念だ。しっかりと車窓を記憶に留めておこうと意気込むが、車内の暖房と冬のやわらかな日差しが心地よく、いつの間にか居眠りをしてしまった。気が付いたのは口之津あたりで、これでは何のための再訪かわからない。終点の加津佐に到着後、駅近くの海岸を散歩してしっかりと目を覚ます。

 加津佐から折り返しの列車で口之津まで戻って下車。口之津からは道路を挟んで天草の鬼池港に向かうフェリーが運航されている。バスターミナルと統合されているフェリーターミナルは立派な建物で、土産物店も入って活気があるが、島原鉄道の口之津駅は無人で閑散としている。口之津ではカメラを抱えた鉄道ファンがもう1人降りたはずであるが、駅の写真を一通り撮影し終えるとどこかへ行ってしまった。

 口之津へ来たからには天草へ行ってみたい衝動に駆られたが、後の行程に差し支えるので島原半島に留まる。8時45分発のフェリーが出港するのを見送り、海沿いの道路を20分かけて口之津歴史民俗資料館・海の資料館へ向かった。口之津歴史民俗資料館・海の資料館は、明治32年に新築された長崎税関口之津支庁の洋風建物を昭和55年に口之津町が払い下げを受け、資料館としてオープンさせた。9時に開館したばかりで先客はなく、私の姿を見ると玄関前の庭を手入れしていた職員が「おはようございます」と駆け寄ってきた。

 200円の入館料を支払って館内を見学。口之津が三池炭鉱の搬出港であったことを知る。当時、三池には大型船舶が入港できる港が整備されていなかったため、小型船で石炭を口之津に運び、わざわざ口之津で大型船に積み替えをしていたのだ。やがて、館長らしき人が現れ、「今日は何かの研究ですか?」と声を掛けられる。それほど熱心に資料を眺めていたつもりでもないのだが、「いえいえ、単なる観光です」と答えると、荷物を事務所で預かってくれたうえ、「日本の海運」というDVDをプレゼントされた。口之津の歴史が収録されているのかと思ったが、一般的な海運のPR用に制作されたもののようだ。

 資料館には、からゆきさんの展示コーナーもあり、口之津周辺の貧しい家庭の娘たちが、娼婦として売買され、中国や東南アジア諸国に連れ去られ、娼館でいろんな人種の男性の相手をさせられたとのこと。しばしば、従軍慰安婦の問題がクローズアップされているが、日本人でも同じ境遇にさらされた女性が多数いたのだ。

 資料館からは白浜海水浴場前駅に出る。近くには口之津温泉が湧いているのであるが、入浴施設の国民年金保養センターくちのつは1月で閉館。現在は、神戸物産の資本により、2月19日からヴィラ・スピカ南島原として再生するとのことであるが、現在は改修工事中で利用できない。

 白浜海水浴場前から乗車した列車は往年の国鉄車両であるキハ20だった。キハ20も3月末日をもって廃車されるとのことで、これまた鉄道ファンが大勢詰めかけている。当然車内も三脚持参の乗客の姿が多く、ドア近くでおとなしく過ごす。

 北有馬で下車し、日野江城址を目指す。日野江城と原城は、江戸時代の一国一城令で廃城になるまでは、島原半島の拠点であった。龍造寺氏をも凌ぐ勢いで肥前を掌握していた、キリシタン大名有馬氏の居城とされたのが日野江城で、金箔瓦や切石による外来系の石垣が発掘されている。一帯は1982年7月3日、国の史跡に指定され、1995年より2000年まで発掘調査が行われたが、旧北有馬町(現在の南島原市)が城跡を公園化する工事を行った際に遺跡を損壊したことが判明し、現状復帰が課題となっている。

 雑草の覆い茂る石垣を眺めて日野江の里天守閣タワーへ移動。日野江城の天守閣をモチーフにした資料館があるとの情報を事前に調べていたのだ。ところが、天守閣タワーは健在したものの、館内は施錠されており、資料館に関する案内も一切ない。北有馬町が合併により、南島原市に編入されたときに閉鎖されてしまったのであろうか。

 仕方がないので天守閣タワー近くの田平停留所から島鉄バスに乗り、蒲河へ移動。やはりキハ20の運用となっていた119で有家へ戻り、2日目の島原鉄道の旅は終了。鉄道から離れて5年ぶりとなる雲仙に向かうことにした。

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島原鉄道①♪
島原鉄道(瀬野深江)  普賢岳  みずなし本陣


島原外港15:19(125)15:24安徳…雲仙岳災害記念館(がまだすドーム)…みずなし本陣…瀬野深江17:47(136)18:03島鉄本社前

 島原鉄道が今年3月末日をもって島原外港-加津佐間の廃止を発表したのは、2007年1月1日のこと。既に島原鉄道は乗車済みであり、島原半島にも過去2回出掛けていることから、再訪するかどうか迷ったが、日本航空の株主優待券が1枚余っていたこともあり、2月の3連休を利用してお別れ乗車を試みた。当初は同じく3月のダイヤ改正で廃止が発表された寝台特急「あかつき」の利用を考えたが、こちらも廃止間際の葬式景気で寝台券が確保できなかった。やむなく、高速バスで天神へ出て、西日本鉄道と島原鉄道の高速船を利用して島原入りを目指す。殺風景な三池港で小ぶりな高速船「島鉄1号」を見たときは船酔いを覚悟したが、島原までの50分間をほとんど居眠りして過ごしたので足取りは軽い。今回は、西日本鉄道の「島原半島フリーきっぷ」利用なので、島原港の窓口で、引換券を明日から有効開始となる「島原半島内の列車・バス2日間フリー乗車券」と交換する。

 4月からは島原鉄道の終着駅となる島原外港駅へ赴けば、建て付けの悪い扉の駅舎が健在。初めて島原外港を訪問したのはまだ大学生だった1996年2月28日のこと。当時は1993年4月28日に発生した土石流の被害により、島原外港-深江間が不通となったままであった。このため、列車は諫早-島原外港間、深江-加津佐間の折り返し運転を実施し、南島原-深江間は代行バスが運行されていた。島原鉄道に乗ることを目的としていた私は、南島原ではなく、島原外港まで列車を乗り通し、島原外港から代行バスならぬ代行タクシーを利用した。平日の昼間で乗客が少なく、タクシーに乗客5人がすし詰め状態となった記憶がある。タクシーから眺める深江地区は、土石流から3年近く経つのに道路以外は復興されている様子がなく、阪神淡路大震災後の神戸とは対照的であった。その後、1997年4月1日に島原外港-深江間の高架化が完成し、島原鉄道は運行を再開。2002年11月3日に一足早く運行を終了したトロッコ列車で、島原外港-深江間を往復した。

 島原外港で安徳までの乗車券を購入すると嬉しいことに硬券切符だ。全国的に記念切符ぐいらいでしか硬券切符を見掛けなくなったが、島原鉄道ではまだまだ現役で硬券切符が使われているようだ。次の列車まで30分近く時間があるので、立派なフェリーターミナルの近くにある泉源公園の足湯で過ごした。

 黄色いワンマンカーは制服姿の高校生と鉄道ファンで賑わっている。島原外港からは3月末日に廃止となる区間であるが、高校生の利用率は高そうで、地元では島原鉄道廃止後の通学の足の確保が問題となっている。

 次の秩父が浦から高架区間に入り、下車駅の安徳は高架駅となっていた。安徳で下車したのは私の他に地元の乗客が2人だけで、鉄道ファンらしき人物で腰を上げた者はいなかった。安徳からは雲仙岳の土石流が堆積してできた埋立地に建つがまだすドーム(雲仙岳災害記念館)を目指す。がまだすドームは1990年11月に始まった平成噴火から1996年6月までの噴火終息宣言までの記録を後世に伝えるために設立された施設である。館内には美人コンパニオンが何人も待機しており、華やかなムードさえ漂っているので多少戸惑う。不謹慎と感じる人もいるのかもしれないが、堅苦しくしては訪問者が少なくなるだけだろうし、テーマパーク風にして興味を持たせようという配慮なのであろう。館内は平成大噴火当時の映像や火砕流や土石流に埋もれていた遺物を公開している。火砕流や土石流を体験できる「平成大噴火シアター」なる施設もあったが、体験と称するには少々物足りない。もう少し恐ろしさを強調しなければ、自然の脅威を安易に考える子供が出てきてしまうのではなかろうか。

 がまだすドームを後にし、同じく当時の様子を伝える道の駅みずなし本陣を目指す。土石流で一躍有名になった水無川の河畔にある道の駅で、こちらにも火山学習館、大火砕流体験館といった施設がある。がまだすドームの施設と比較すると面白いかなと考えていたが、蛍の光が流れてくる。時刻はまだ17時前で、ホームページでは18時まで営業となっていたはずなのだが冬場は早仕舞いか。仕方がないので土石流被災家屋保存公園だけを足早に一回りして退散する。

 帰りは瀬野深江から島原鉄道を利用する。この辺りも火砕流や土石流の被害にあったと思われるのだが、ビニルハウスが立ち並び、完全に立ち直った様子だ。分譲地もあったが、外部からわざわざやって来て住みたいとは思わない。夕暮れの普賢岳を眺めながら、初日の旅を終えた。

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参宮線♪
快速みえ


四日市10:59(快速みえ3号2923D)12:18鳥羽13:52(快速みえ14号8934D)14:05【14:10】伊勢市18:03(944C)18:22多気

 参宮線は紀勢本線の多気から鳥羽までの全長29.1キロのローカル線である。伊勢神宮へ参るための鉄道であるから「参宮線」は洒落たネーミングだ。もっとも、かつての参宮線は幹線扱いで、優等列車が何本も乗り入れたそうだが、現在は近鉄との競合に敗れて落ちぶれている。赤福の会長が参宮線を廃止して、跡地を駐車場に利用するように提案したことは記憶に新しいが、個人的な見解にしろ、地元から廃止してもよいとの声が上がるのが現在の参宮線である。

 赤福は、製造年月日の改ざん問題などが浮上し、無期休業状態に追い込まれたし、その後、参宮線の存続問題も取り沙汰されていないが、いつ廃止されてもおかしくない路線であることには間違いないので、伊勢神宮への初詣がてら再訪してみる。再訪といっても、前回、参宮線に乗ったのは、まだ中学生だった1989年5月3日のこと。この頃はJR全線走破を目指す「チャレンジ20,000キロ」のキャンペーン期間中で、沿線の観光をすることもなく、参宮線を鳥羽まで往復しているので、事実上の初乗りだ。

 四日市から快速みえ3号に乗車し、車掌から伊勢鉄道区間の490円の乗車券を購入する。快速みえは、近鉄に対抗するためにJR東海が名古屋-鳥羽間に投入した快速列車であるが、途中に第三セクターの伊勢鉄道を経由するため、青春18きっぷなどのJRの企画乗車券では利用できない。そのために乗客は伊勢鉄道分の追加運賃を負担しなければならないことから、近鉄に苦戦を強いられている。その伊勢鉄道に乗るのも中学時代以来である。列車が四日市を発車するとさっそく車掌が車内検札を始めたが、私のところは素通りであった。

 伊勢市で乗客の大半が下車し、閑散とした状態で終点の鳥羽に到着。駅前には食堂や土産物屋が並んでおり、「お兄さん寄ってきなよ!」と声が掛かる。そのお店にもそれなりに賑わっているのは連休のおかげか。伊勢詣での序に立ち寄る人は多かろう。

 鳥羽の観光名所といえばミキモト真珠島と鳥羽水族館だ。両方を訪れるのがオーソドックスな観光コースであるが、今日は日帰りで伊勢神宮をセットにしているので、どちらか一方しか訪問できない。水族館は全国各地で立ち寄っているし、一人でアシカのショーなどを観賞しても虚しくなるだけなので、ミキモト真珠島を選択。ミキモト真珠島はミキモトの創業者である御木本幸吉が初めて真珠の養殖に成功した場所で、御木本幸吉博物館や真珠博物館が設置されている。13時からは海女の素潜りの実演が始まった。肌寒い気候の中で大変だが、気温よりも水温の方が高く、海に入った方が暖かいそうだ。

 伊勢市に戻って伊勢神宮へ。伊勢神宮には内宮と外宮があり、まずは駅から離れた内宮へ足を向ける。駅前のバスターミナルへ行くと、1月の土・日は全便伊勢駅前へは乗り入れず、外宮前から臨時便が出ているとのこと。外宮へとぼとぼと歩いて臨時便乗り場へ行けば、内宮までの所要時間は80分となっている。普段なら20分程度のはずであるが、自家用車の渋滞がひどいらしい。3が日も終わったしと少々伊勢神宮を侮っていたようだ。参拝時間は限られるが、せっかくなので臨時バスに乗り込む。座席がすべて埋まると出発するシステムで、幸いにも先頭のドア前の席を確保できた。バスは快調に走り、どこで渋滞があるのかと思ったのも束の間、やがて車の列が視界に入る。時間がかかることを覚悟のうえ、居眠りをする。時折、短気な乗客がバスを降りて歩き始めるが、冷静に考えれば歩いても、バスに乗ったままでも内宮の到着はあまり変わらない。それならバスに留まった方が利口ではないか。

 バスは1時間少々で内宮に到着。人の数は多いが、境内が広いので入場制限を行うこともなく、30分程度で境内をひとまわりできた。もっとも、参道は身動きのとれないぐらいの人だかりだったので、こちらは敬遠する。

 帰りのバスは宇治山田駅に寄って30分程度で外宮に戻る。参拝時間が終了する17時までに残された時間は30分。こちらも足早に境内を散策する。外宮は交通の便が良いためか、内宮のような混雑はない。後で知ったのだが、本来は外宮から先にお参りするのが習わしのようで、参拝時間終了間際の外宮が閑散としているはずだ。もっとも、外宮へ戻ってくる間も対向車線は渋滞中であったし、今回に限っては先に外宮をお参りしていたら、内宮でタイムアップになった可能性もある。

 17時になると外宮参道のお店はほとんどが店終いをしている。折角なので伊勢うどんでも賞味しようと思ったのだが、1軒だけ開いているお店も看板の灯りを落としており、もはや閉店の準備にかかっているような雰囲気なので入店を見合わせる。宇治山田駅周辺の方が多少は開けていたような気がしたので、ちょっと足を延ばしてみると、こちらはまだ活気があった。

 手頃な「まんぷく食堂」に入り、この店の名物というから揚げ丼と伊勢うどんがセットになった「新福定食」(730円)を注文。から揚げ丼は、半切れのから揚げ数個を卵でとじたもので、世間一般には定着していないどんぶりメニューではあるけれども、オリジナリティはやや乏しい。伊勢うどんは少々うどんが茹で過ぎの印象を受けたが、汁のかわりに独特のタレを使ったうどんを賞味して満足する。

 宇治山田駅で土産物屋を冷やかして、持ち帰り用の「伊勢うどん」と「松阪牛チップス」を購入。「松坂牛チップス」は全国各地で見掛けるご当地シリーズで、昨年の夏には「佐賀牛せんべい」を賞味している。他にも青森「田子のにんにくせんべい」を確認済みだ。「松坂牛せんべい」ではなく、「松坂牛チップス」を名乗るのは、既に「松坂牛せんべい」という商品が存在しているからであろう。次回はどんなシリーズに出会えるのか楽しみである。伊勢市に戻れば参宮線の旅もフィナーレ。既にホームに入線していた944Cに乗り込み、「松坂牛チップス」で旅の打ち上げとなった。

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