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Author:tabito
国内旅行業務取扱主任者、一般旅行業務取扱主任者の資格を取得。全国47都道府県、世界約30ヶ国を旅する。日本の鉄道全線踏破を目標としているが、相次ぐ新線開業に加え、多忙につき足踏み状態。



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島原鉄道③♪
島原鉄道(原城)  干拓の里  愛野駅


加津佐8:38(112)8:57原城11:10(120)12:03南島原12:03(120)13:11干拓の里16:01(129)16:13愛野16:28(128)16:53諫早

 連休最終日は小浜温泉から島鉄バスで加津佐駅前へ運ばれる。加津佐駅前のひとつ手前に加津佐という停留所があり紛らわしい。間違えて加津佐で下車してしまう旅行者も多そうだ。同じようなパターンは、高知県の奈半利でも経験した。車内アナウンスで、駅は次の停留所である旨を注意してもよさそうだが、残り1ヵ月少々では吹き替えのコストが無駄になるか。せめて運転手には確認をする配慮が欲しいものだ。

 加津佐からは昨日と同じ112列車に乗り込む。黄色いワンマンカーで、始発駅であったこともあり、窓側のボックス席を確保する。8時38分に加津佐を静かに発車し、今度こそ最後の乗車なので車窓をしっかりと眺める。白浜海水浴場前、口之津と停車するに連れ、昨日の記憶が蘇ってくる。今日の最初の下車駅は、島原の乱で名高い原城だ。

 原城で降り立ったのは、私の他に地元客3名と旅行者らしきアベックだ。アベックは原城跡が目的の観光客と思いきや、駅や列車の写真を撮影すると、駅前のバス停留所へ。列車とバスを活用したお別れ乗車組で、鉄道ファンのアベックとは珍しい。最近は女性の鉄道ファンも増えたことだし、今後は全国各地で見掛けることも増えそうだ。

 さて、降り立った原城も無人駅で、かつての駅事務室も閉鎖されている。それでも原城への観光案内だけは残っており、道順を確認してから出発する。駅周辺の集落を抜けると畑が続き、徒歩15分ぐらいで原城真砂温泉に辿り着いた。500円の入浴券を自動販売機で購入して脱衣場へ向かうと、既に先客が何人もいる。開館したばかりではないかと思ったら、先客は浴衣を身に付けており、宿泊客と判明。原城真砂温泉は宿泊もできる施設だったのだ。温泉は単純温泉なので、無色透明で面白味がないが、ガラス張りの浴場からは眺める有明海は見事だ。

 温泉でさっぱりしてから原城址に向かう。真砂温泉から畑に囲まれた道路を10分程歩いてたどり着いた原城址には、島原の乱を指導した天草四郎時貞の像や墓があり、キリシタンのシンボルである白い十字架の塔が建てられていた。幕府の要請により、オランダ軍の軍艦が砲撃したとのことだが、有明海に面した原城址を見れば納得する。

 原城のホームで列車を待っていると、地元のお婆さんが島原鉄道の廃止について会話をしている。要約すると列車だと諫早まで時間がかかり過ぎるので、バスや車で移動した方が便利とのこと。一般的にはバスよりも鉄道の方が早いと思うのだが、急行列車は1日1往復だけなので、地元の需要には応えられなかったようだ。

 120列車は旧型車両のキハ20であったが、幸いにも山側のボックス席が開いていたので落ち着く。人気があるのは圧倒的に海側であるが、山側でも雲仙普賢岳を眺めることができるし、それなりに車窓は楽しめる。車掌はマメに車内巡回と車内アナウンスを繰り返し、記念乗車券の販売に努めている。記念乗車券といっても特殊な乗車券ではなく、廃止区間の乗車券を昔ながらの車内補充券で売っているのであった。

 島原外港まで戻って来ると廃止区間のお別れ乗車は終了。時刻表上は諫早までの直通となっているのだが、南島原で乗り換えを指示される。普段はワンマン列車で運行するところを、特別に加津佐-南島原間にキハ20をあてがったのだ。南島原からは黄色いワンマン列車となるが、2両が1両になるので、車内は混雑する。かろうじて海側のボックス席を確保したが、すべての席が埋まる。

 4月以降も存続する区間に入ったので、沿線にはカメラを構えた鉄道ファンの姿は見掛けなくなったが、代わりに地元客の利用者も増えてくる。もっとも、島原近郊の利用者が多く、各駅に停車するに連れて車内に落ち着きが戻ってくる。

 今度は干拓の里で下車。諫早と言えば干拓が名高く、干拓の里という駅名に惹かれたのだ。干拓の里は片面ホームだけの無人駅で、下車したのは部活動帰りかジャージ姿の女子高生3名だけ。少し歩けば諫早ゆうゆうランド干拓の里という施設があるので足を向けてみる。

 スピーカーから童謡のメロディーが流れて来る諫早ゆうゆうランド干拓の里に到着。広い駐車場にはそれなりの車があり、賑わいがあるようだが、子供連れでやって来る施設かなと躊躇する。それでも施設内には資料館や水族館もあるようだし、完全な子供向けの施設でもないようだ。資料館で諫早干拓について学び、水族館では諫早干拓に生息するムツゴロウを見る。ムツゴロウは食用にもなるらしいが、実際に食べられているのか疑わしい。昼食時だったので、併設されているレストラン「のんのこ亭」に入ったが、ムツゴロウのメニューはない。変わりに長崎名物の「トルコライス」を注文した。

 帰りの飛行機まで時間に余裕があったので、「愛野から吾妻」までの記念切符で有名な愛野に立ち寄ってみる。メルヘンチックな駅舎は気恥ずかしくなるが、駅員は在駐しており、記念切符も販売されていた。「愛野から吾妻」までの乗車券と「幸」の入場券2枚をセットにした記念切符と「幸→愛野→吾妻」という記念乗車券が販売されていたので双方を買い求める。「幸→愛野→吾妻」は、「幸せを愛しの吾妻に」と読ませるようだ。いつか妻にプレゼントしよう。

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島原鉄道②♪
島原鉄道(有家)  加津佐駅  口之津資料館


島鉄本社前7:02(101)8:17加津佐8:38(112)8:44口之津…口之津歴史民俗資料館・海の資料館…白浜海水浴場前10:55(120)11:17北有馬…日野江城址…日野江の里天守閣タワー…田平12:30(島鉄バス11便)12:42蒲河12:49(119)12:52有家

 島鉄本社前7時02分の101で2日目の旅をスタート。まずは3月末日になる廃止区間である島原外港-加津佐間を乗り通す。車内には鉄道ファンらしき者の姿が見受けられるが、車内は比較的空いており、海側のボックスシートに座ることができた。有明海からちょうど朝日が昇る時間帯で、美しい光景を堪能できる。この景色を眺められるのもあと1ヵ月少々だと思うと残念だ。しっかりと車窓を記憶に留めておこうと意気込むが、車内の暖房と冬のやわらかな日差しが心地よく、いつの間にか居眠りをしてしまった。気が付いたのは口之津あたりで、これでは何のための再訪かわからない。終点の加津佐に到着後、駅近くの海岸を散歩してしっかりと目を覚ます。

 加津佐から折り返しの列車で口之津まで戻って下車。口之津からは道路を挟んで天草の鬼池港に向かうフェリーが運航されている。バスターミナルと統合されているフェリーターミナルは立派な建物で、土産物店も入って活気があるが、島原鉄道の口之津駅は無人で閑散としている。口之津ではカメラを抱えた鉄道ファンがもう1人降りたはずであるが、駅の写真を一通り撮影し終えるとどこかへ行ってしまった。

 口之津へ来たからには天草へ行ってみたい衝動に駆られたが、後の行程に差し支えるので島原半島に留まる。8時45分発のフェリーが出港するのを見送り、海沿いの道路を20分かけて口之津歴史民俗資料館・海の資料館へ向かった。口之津歴史民俗資料館・海の資料館は、明治32年に新築された長崎税関口之津支庁の洋風建物を昭和55年に口之津町が払い下げを受け、資料館としてオープンさせた。9時に開館したばかりで先客はなく、私の姿を見ると玄関前の庭を手入れしていた職員が「おはようございます」と駆け寄ってきた。

 200円の入館料を支払って館内を見学。口之津が三池炭鉱の搬出港であったことを知る。当時、三池には大型船舶が入港できる港が整備されていなかったため、小型船で石炭を口之津に運び、わざわざ口之津で大型船に積み替えをしていたのだ。やがて、館長らしき人が現れ、「今日は何かの研究ですか?」と声を掛けられる。それほど熱心に資料を眺めていたつもりでもないのだが、「いえいえ、単なる観光です」と答えると、荷物を事務所で預かってくれたうえ、「日本の海運」というDVDをプレゼントされた。口之津の歴史が収録されているのかと思ったが、一般的な海運のPR用に制作されたもののようだ。

 資料館には、からゆきさんの展示コーナーもあり、口之津周辺の貧しい家庭の娘たちが、娼婦として売買され、中国や東南アジア諸国に連れ去られ、娼館でいろんな人種の男性の相手をさせられたとのこと。しばしば、従軍慰安婦の問題がクローズアップされているが、日本人でも同じ境遇にさらされた女性が多数いたのだ。

 資料館からは白浜海水浴場前駅に出る。近くには口之津温泉が湧いているのであるが、入浴施設の国民年金保養センターくちのつは1月で閉館。現在は、神戸物産の資本により、2月19日からヴィラ・スピカ南島原として再生するとのことであるが、現在は改修工事中で利用できない。

 白浜海水浴場前から乗車した列車は往年の国鉄車両であるキハ20だった。キハ20も3月末日をもって廃車されるとのことで、これまた鉄道ファンが大勢詰めかけている。当然車内も三脚持参の乗客の姿が多く、ドア近くでおとなしく過ごす。

 北有馬で下車し、日野江城址を目指す。日野江城と原城は、江戸時代の一国一城令で廃城になるまでは、島原半島の拠点であった。龍造寺氏をも凌ぐ勢いで肥前を掌握していた、キリシタン大名有馬氏の居城とされたのが日野江城で、金箔瓦や切石による外来系の石垣が発掘されている。一帯は1982年7月3日、国の史跡に指定され、1995年より2000年まで発掘調査が行われたが、旧北有馬町(現在の南島原市)が城跡を公園化する工事を行った際に遺跡を損壊したことが判明し、現状復帰が課題となっている。

 雑草の覆い茂る石垣を眺めて日野江の里天守閣タワーへ移動。日野江城の天守閣をモチーフにした資料館があるとの情報を事前に調べていたのだ。ところが、天守閣タワーは健在したものの、館内は施錠されており、資料館に関する案内も一切ない。北有馬町が合併により、南島原市に編入されたときに閉鎖されてしまったのであろうか。

 仕方がないので天守閣タワー近くの田平停留所から島鉄バスに乗り、蒲河へ移動。やはりキハ20の運用となっていた119で有家へ戻り、2日目の島原鉄道の旅は終了。鉄道から離れて5年ぶりとなる雲仙に向かうことにした。

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島原鉄道①♪
島原鉄道(瀬野深江)  普賢岳  みずなし本陣


島原外港15:19(125)15:24安徳…雲仙岳災害記念館(がまだすドーム)…みずなし本陣…瀬野深江17:47(136)18:03島鉄本社前

 島原鉄道が今年3月末日をもって島原外港-加津佐間の廃止を発表したのは、2007年1月1日のこと。既に島原鉄道は乗車済みであり、島原半島にも過去2回出掛けていることから、再訪するかどうか迷ったが、日本航空の株主優待券が1枚余っていたこともあり、2月の3連休を利用してお別れ乗車を試みた。当初は同じく3月のダイヤ改正で廃止が発表された寝台特急「あかつき」の利用を考えたが、こちらも廃止間際の葬式景気で寝台券が確保できなかった。やむなく、高速バスで天神へ出て、西日本鉄道と島原鉄道の高速船を利用して島原入りを目指す。殺風景な三池港で小ぶりな高速船「島鉄1号」を見たときは船酔いを覚悟したが、島原までの50分間をほとんど居眠りして過ごしたので足取りは軽い。今回は、西日本鉄道の「島原半島フリーきっぷ」利用なので、島原港の窓口で、引換券を明日から有効開始となる「島原半島内の列車・バス2日間フリー乗車券」と交換する。

 4月からは島原鉄道の終着駅となる島原外港駅へ赴けば、建て付けの悪い扉の駅舎が健在。初めて島原外港を訪問したのはまだ大学生だった1996年2月28日のこと。当時は1993年4月28日に発生した土石流の被害により、島原外港-深江間が不通となったままであった。このため、列車は諫早-島原外港間、深江-加津佐間の折り返し運転を実施し、南島原-深江間は代行バスが運行されていた。島原鉄道に乗ることを目的としていた私は、南島原ではなく、島原外港まで列車を乗り通し、島原外港から代行バスならぬ代行タクシーを利用した。平日の昼間で乗客が少なく、タクシーに乗客5人がすし詰め状態となった記憶がある。タクシーから眺める深江地区は、土石流から3年近く経つのに道路以外は復興されている様子がなく、阪神淡路大震災後の神戸とは対照的であった。その後、1997年4月1日に島原外港-深江間の高架化が完成し、島原鉄道は運行を再開。2002年11月3日に一足早く運行を終了したトロッコ列車で、島原外港-深江間を往復した。

 島原外港で安徳までの乗車券を購入すると嬉しいことに硬券切符だ。全国的に記念切符ぐいらいでしか硬券切符を見掛けなくなったが、島原鉄道ではまだまだ現役で硬券切符が使われているようだ。次の列車まで30分近く時間があるので、立派なフェリーターミナルの近くにある泉源公園の足湯で過ごした。

 黄色いワンマンカーは制服姿の高校生と鉄道ファンで賑わっている。島原外港からは3月末日に廃止となる区間であるが、高校生の利用率は高そうで、地元では島原鉄道廃止後の通学の足の確保が問題となっている。

 次の秩父が浦から高架区間に入り、下車駅の安徳は高架駅となっていた。安徳で下車したのは私の他に地元の乗客が2人だけで、鉄道ファンらしき人物で腰を上げた者はいなかった。安徳からは雲仙岳の土石流が堆積してできた埋立地に建つがまだすドーム(雲仙岳災害記念館)を目指す。がまだすドームは1990年11月に始まった平成噴火から1996年6月までの噴火終息宣言までの記録を後世に伝えるために設立された施設である。館内には美人コンパニオンが何人も待機しており、華やかなムードさえ漂っているので多少戸惑う。不謹慎と感じる人もいるのかもしれないが、堅苦しくしては訪問者が少なくなるだけだろうし、テーマパーク風にして興味を持たせようという配慮なのであろう。館内は平成大噴火当時の映像や火砕流や土石流に埋もれていた遺物を公開している。火砕流や土石流を体験できる「平成大噴火シアター」なる施設もあったが、体験と称するには少々物足りない。もう少し恐ろしさを強調しなければ、自然の脅威を安易に考える子供が出てきてしまうのではなかろうか。

 がまだすドームを後にし、同じく当時の様子を伝える道の駅みずなし本陣を目指す。土石流で一躍有名になった水無川の河畔にある道の駅で、こちらにも火山学習館、大火砕流体験館といった施設がある。がまだすドームの施設と比較すると面白いかなと考えていたが、蛍の光が流れてくる。時刻はまだ17時前で、ホームページでは18時まで営業となっていたはずなのだが冬場は早仕舞いか。仕方がないので土石流被災家屋保存公園だけを足早に一回りして退散する。

 帰りは瀬野深江から島原鉄道を利用する。この辺りも火砕流や土石流の被害にあったと思われるのだが、ビニルハウスが立ち並び、完全に立ち直った様子だ。分譲地もあったが、外部からわざわざやって来て住みたいとは思わない。夕暮れの普賢岳を眺めながら、初日の旅を終えた。

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ムーンライト♪
ムーンライト


梅田22:00(西日本鉄道)7:40天神

 夜行で九州に向かったことはこれまで何度もあるが、快速「ムーンライト九州」や寝台特急「あかつき」利用と鉄道ばかりであった。本当は今回も3月で廃止が決まった「あかつき」利用を考えていたのだが、連休前の金曜日と廃止景気が重なって発売当日でも寝台券を入手することができなかった。やむなく代替手段として高速バスの「ムーンライト」利用となったのである。

 梅田三番街高速バスターミナルには10分間隔で各方面へのバスが発車しており、活気に満ち溢れている。「ムーンライト」は阪急観光バスと西日本鉄道の共同運行であるが、5分前に到着したバスは西日本鉄道の車両であった。今日は2台の運行で、1号車の2B席が割り当てられた。前から2列目の中央席である。不思議なことにこれまで何回か夜行バスを利用しているが、未だに窓側の席を割り当てられたことがない。

 定刻の22時ちょうどにバスは発車。茶屋町の繁華街を高速バスで走り抜けるのも新鮮だ。車内に設置されたテレビでは「報道ステーション」が放映されていたので、手元のイヤホンで音声を拾う。その他に使い捨てのおしぼり、スリッパ、毛布が備えられており、車両中央にはトイレとコーヒー、お茶のドリンクサービスがあった。テレビは番組の途中であったが、23時になると消された。

 新大阪、千里ニュータウンで乗客を拾って、中国自動車道に入る。運転手から到着時刻、車内設備の説明があり、三木サービスエリアで消灯前の休憩となる。3月末日で廃止となる三木鉄道が走る場所でもあり、売店では限定の三木鉄道チョロQが販売されていた。

 23時35分に三木サービスエリアを出発すると、運転席と客席の仕切りだけではなく、通路にもカーテンがひかれて半個室状態となる。これなら周囲を気にせずゆっくりできそうだ。消灯を待ってリクライニングシートを倒す。

 途中、運転手の交代のために2時間置きにパーキングエリアに立ち寄ったはずであるが、ほとんど気が付かずに早朝5時半のアナウンスで目覚める。本州西端の壇ノ浦パーキングエリアだ。まだ薄暗いが、関門海峡を望むロケーションで人気がある。ここの名物はお米コロッケであるが、残念ながらまだ販売されていない。

 関門トンネルを利用して何度も行き来したことのある関門海峡であるが、関門橋を渡るのは今回が初めてだ。瀬戸大橋、明石海峡大橋など、大きな橋は渡り慣れているので、感慨はそれほどでもないが、下関や門司から何度も眺め、いつかは渡ってみたいと思っていた橋なので満足する。

 壇ノ浦から25分程で小倉駅前に到着。ここで3分の1ぐらいの乗客が下車する。「ムーンライト」の利用者は概ね小倉か福岡へ向かう乗客だ。小倉から福岡まではさらに1時間を要するが、車内灯が点いたままなのでもう一眠りする妨げとなる。早朝の時間帯なので、停留所周辺以外はせめて減光して欲しいところ。仕方がないので、備え付けの熱いコーヒーとおしぼりでバッチリ目覚める。

 博多駅で乗客のほとんどが下車し、気がつけば天神へ向かうのは私の他にもう1人だけという状態。西鉄としては、天神まで利用してもらって、電車の乗り換えという流れを期待しているのだろうが、今日は圧倒的にJRに軍配だ。

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