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Author:tabito
国内旅行業務取扱主任者、一般旅行業務取扱主任者の資格を取得。全国47都道府県、世界約30ヶ国を旅する。日本の鉄道全線踏破を目標としているが、相次ぐ新線開業に加え、多忙につき足踏み状態。



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島原鉄道②♪
島原鉄道(有家)  加津佐駅  口之津資料館


島鉄本社前7:02(101)8:17加津佐8:38(112)8:44口之津…口之津歴史民俗資料館・海の資料館…白浜海水浴場前10:55(120)11:17北有馬…日野江城址…日野江の里天守閣タワー…田平12:30(島鉄バス11便)12:42蒲河12:49(119)12:52有家

 島鉄本社前7時02分の101で2日目の旅をスタート。まずは3月末日になる廃止区間である島原外港-加津佐間を乗り通す。車内には鉄道ファンらしき者の姿が見受けられるが、車内は比較的空いており、海側のボックスシートに座ることができた。有明海からちょうど朝日が昇る時間帯で、美しい光景を堪能できる。この景色を眺められるのもあと1ヵ月少々だと思うと残念だ。しっかりと車窓を記憶に留めておこうと意気込むが、車内の暖房と冬のやわらかな日差しが心地よく、いつの間にか居眠りをしてしまった。気が付いたのは口之津あたりで、これでは何のための再訪かわからない。終点の加津佐に到着後、駅近くの海岸を散歩してしっかりと目を覚ます。

 加津佐から折り返しの列車で口之津まで戻って下車。口之津からは道路を挟んで天草の鬼池港に向かうフェリーが運航されている。バスターミナルと統合されているフェリーターミナルは立派な建物で、土産物店も入って活気があるが、島原鉄道の口之津駅は無人で閑散としている。口之津ではカメラを抱えた鉄道ファンがもう1人降りたはずであるが、駅の写真を一通り撮影し終えるとどこかへ行ってしまった。

 口之津へ来たからには天草へ行ってみたい衝動に駆られたが、後の行程に差し支えるので島原半島に留まる。8時45分発のフェリーが出港するのを見送り、海沿いの道路を20分かけて口之津歴史民俗資料館・海の資料館へ向かった。口之津歴史民俗資料館・海の資料館は、明治32年に新築された長崎税関口之津支庁の洋風建物を昭和55年に口之津町が払い下げを受け、資料館としてオープンさせた。9時に開館したばかりで先客はなく、私の姿を見ると玄関前の庭を手入れしていた職員が「おはようございます」と駆け寄ってきた。

 200円の入館料を支払って館内を見学。口之津が三池炭鉱の搬出港であったことを知る。当時、三池には大型船舶が入港できる港が整備されていなかったため、小型船で石炭を口之津に運び、わざわざ口之津で大型船に積み替えをしていたのだ。やがて、館長らしき人が現れ、「今日は何かの研究ですか?」と声を掛けられる。それほど熱心に資料を眺めていたつもりでもないのだが、「いえいえ、単なる観光です」と答えると、荷物を事務所で預かってくれたうえ、「日本の海運」というDVDをプレゼントされた。口之津の歴史が収録されているのかと思ったが、一般的な海運のPR用に制作されたもののようだ。

 資料館には、からゆきさんの展示コーナーもあり、口之津周辺の貧しい家庭の娘たちが、娼婦として売買され、中国や東南アジア諸国に連れ去られ、娼館でいろんな人種の男性の相手をさせられたとのこと。しばしば、従軍慰安婦の問題がクローズアップされているが、日本人でも同じ境遇にさらされた女性が多数いたのだ。

 資料館からは白浜海水浴場前駅に出る。近くには口之津温泉が湧いているのであるが、入浴施設の国民年金保養センターくちのつは1月で閉館。現在は、神戸物産の資本により、2月19日からヴィラ・スピカ南島原として再生するとのことであるが、現在は改修工事中で利用できない。

 白浜海水浴場前から乗車した列車は往年の国鉄車両であるキハ20だった。キハ20も3月末日をもって廃車されるとのことで、これまた鉄道ファンが大勢詰めかけている。当然車内も三脚持参の乗客の姿が多く、ドア近くでおとなしく過ごす。

 北有馬で下車し、日野江城址を目指す。日野江城と原城は、江戸時代の一国一城令で廃城になるまでは、島原半島の拠点であった。龍造寺氏をも凌ぐ勢いで肥前を掌握していた、キリシタン大名有馬氏の居城とされたのが日野江城で、金箔瓦や切石による外来系の石垣が発掘されている。一帯は1982年7月3日、国の史跡に指定され、1995年より2000年まで発掘調査が行われたが、旧北有馬町(現在の南島原市)が城跡を公園化する工事を行った際に遺跡を損壊したことが判明し、現状復帰が課題となっている。

 雑草の覆い茂る石垣を眺めて日野江の里天守閣タワーへ移動。日野江城の天守閣をモチーフにした資料館があるとの情報を事前に調べていたのだ。ところが、天守閣タワーは健在したものの、館内は施錠されており、資料館に関する案内も一切ない。北有馬町が合併により、南島原市に編入されたときに閉鎖されてしまったのであろうか。

 仕方がないので天守閣タワー近くの田平停留所から島鉄バスに乗り、蒲河へ移動。やはりキハ20の運用となっていた119で有家へ戻り、2日目の島原鉄道の旅は終了。鉄道から離れて5年ぶりとなる雲仙に向かうことにした。
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